混沌伝奇 逢魔が刻

Chaos Fantasy
When Monster stand face to face Monster.

作・不破 天斗
Written by Takato・Fuwa.

悪魔降臨
Diabo's coming.

主な登場人物
Main Character.

不破 天斗…「隻眼の悪魔」と呼ばれる不良少年。
Takato・Fuwa…A delinquent who called “One-eyed Diabo”.
八代 刻矢…天斗の相棒。
Tokiya・Yatsushiro…Takato's partner.
辻 なぎさ…天斗の彼女。
Nagisa・Tsuji…Takato's lover.

序説
Introduction.

 夜、それは総てが闇と云うカーテンに覆われた完全なる黒き世界。
 今宵の夜風は静かに、そして哀しげな香りを運んでくる。
 香源は『血』。
 私有地とされるそこにはもう既に『血の香り』に満ちていた。
 ふと耳を澄ませば何者かの泣き声とも呻き声ともとれる声が聴こえる。
 闇に包まれ、完全に視界が皆無となったそこから声がする。
 やがてそこに一条の月明かりが差し込み、次第に全貌を露にしていく。
 そこには少年が一人佇んでいた。
 余りに低い身長から察するに年齢は12か13。
 だが只の少年ではない。
 一見して真っ先に眼に付くのが髪。
 それは月明かりに照らされることにより銀色に輝く白髪。
 次に眼が行くのは身体。
 少年はズボン以外は何も身に付けておらず、何故か半裸だった。
 しかもそのズボンは限り無く原形を留めておらず、辛うじて秘部を隠す程度しか残っていない。
 露になった全身は一部も無駄が無く、異常に不自然に発達した筋肉で構成されており、辺り一面と同化するかの様に血にまみれていた。
 最後に眸。
 その眸には尋常ならぬ異常な『光』が宿っていた。
 それは『憎悪』と『悲哀』。
 彼のそれは、最高でも130年余りの寿命でしかない人間では到底到達し得ない感情、否、境域に違いない。
 その時、何処からか一陣の烈風が吹いた。−否、風は吹いていない。
 それは少年の発する『殺気』と云う名の『闘気』が具現化したものだ。
 その時、少年は泣いていた。その眼から溢れ、頬を伝う涙は止まることを知らず、何時しか少年は緋い涙を流していた。
 一体何が此処まで少年を追い詰めたのだろうか…
 それを嘲笑うかの様に夜は静謐だった。

第一話 喫茶店での闘い
Lecture1 The duel in cafe.

語り部 T・K
Narrator T・K.

T

『格闘技とは神に選抜(えら)ばれし者のみに赦される境域である』
〜京極 天斗の<闘いとは…>より〜

西暦2020年 4月25日土曜日−−雨のち晴れ

 僕の名前は不破 天斗。
 04年度生まれの15歳。
 一応学校には在籍しているけれども実際の所は一度も登校はしてはいない。  一応怪我を出汁に休んでいる。
 別に勉強が嫌いだとか虐めが恐いとかそう云った類の理由では無い。
 ぶっちゃげた話個人的には花の高校生活を楽しみたい所なのだが、残念ながらそうは行かない。
 何故なら僕は『仕事』で忙しいからだ。

*

 何時の間にか雨も止み、街中がまるで生まれ変わったかの様に綺麗さっぱりと清掃されている。
 それを祝福するかの様に潤った植物が瑞々しさを取り戻しながらその顔を上げ、何時の間にか青空には七色の虹が架かっていた。
 詩人ならずとも心の中で今の清々しさを詠ってしまうことだろう。
 ここは都内に存在する虚ヶ丘市。
 十数年前、『東洋の魔都』と畏怖(おそ)れられていた頃に埼玉県とその境目にある市の幾つかが合体して出来た、西暦2020年現在日本で
 最も新しい市である。
 ここの某私鉄沿線の某駅の東口に広がる繁華街は年がら年中全体的に賑やかでいて、中
 でも繁華街の外れに建っている喫茶店なんかは特にそうだ。
 喫茶店の名は『パンドラ』。
 『パンドラ』は無数の蔓に覆われた煉瓦造りの旧い洋館を殆どそのまま使用(つか)った
 中々アンティークなものだ。
 その喫茶店の前に一人の少年が立っている。
 「……ふぅ……何て言うのかな…」
 片眼の少年は、神経質に眼鏡の位置を直しながらそう呟いた。
 ぱっと見た所15、16歳といった所である。
 少年は黒いタートルネックに白いベスト、卸したてのジーンズに素足で功夫シューズといった出で立ちで、そう云う格好が似合う。
 ただ少々難を言えばジャラジャラと頸に掛けられたアクセサリーがうざったく、右腕の手首から肘関節に装着された巨大なギブスがひどく痛々しい。
「………ふぅ……何て言うのかな…」
 再び少年は口の中でそう呟くと『パンドラ』の中に入っていった。
 心做しか頬に少々赤みが有った。

*

カランカラン…
ドアを開けるとかなり懐かしい鐘の音が聞こえてきた。中に入ると今一部で流行してい
るポップス系の音楽が流されていた。
確か『CHAOS』の『嘆きの海』とか云う曲だ。
店内に入ると奥の方からパタパタと音を立てながらウエイトレスが早足でやってくる。
「いらっしゃいませぇ!あ、天斗くん。席はいつも通り禁煙でよろしいでしょうか?」
「うん。えっと…」
そう言って天斗と呼ばれた少年はぐるりと辺りを見廻す。
友人と楽しそうに談笑している若人、一人で読書をしている女性、休憩中らしい会社員、
と色々な客がいた。そして…
「やっぱり先に着いてやがったか…」
天斗は小さく呟いた。天斗の視線の先には珈琲を飲む一人の女性の姿があった。
その女性は長く、綺麗な髪を後頭部で器用に団子状に纏め、黒のクロスにジャ
ケット、そしてダークグレーのロングスカートに革のブーツと云った出で立ちである。
そして彼女の茶髪と赤眼からは彼女には別の民族の血が流れていることが推測される。
その女性の名前は辻 なぎさと言って年齢は天斗と同年代の筈だが、今の彼女が持つ
独特のダークと言うよりはミステリアスな雰囲気によるものなのか、
天斗よりも二、三歳程年上に感じさせられる。
やがて彼女も気付き、「やあ」と手を上げ、天斗を招いた。
天斗は一瞬躊躇(まよ)ったような表情をしたが、まるで不可視の力に引かれるかの如く
なぎさに接近(ちか)づいて行った。
何時の時代でも人間は食事と睡眠、そして女(又は男)には勝てないものである。
「んで、俺に如何なる御用件でしょうか?御嬢様」
メニューも見ずに紅茶を注文すると、天斗は早速訊いた。するとなぎさは熱く濡れた眼で、
「ああ……お願いだから……そう……焦らさないで……欲しいな……物事には……
順序という……モノが……ある……」
と聞きようによってはアレな事を言ってカップを置いた。一方天斗は暫く赤面していたが、
やがてからかわれていることに気付くと更に顔を赤くして頭から湯気を立てて怒り出した。
こんなんでいちいち感情を昂ぶらせるとは、まだまだ修業が足りないことが伺える。
「な〜ぎ〜さ〜…」
「ふふ……まあ……冗談はこれ位にして……そろそろ……本題に入ると……するか……」
「応」
「……実は不破くん。……又……君に仕事を頼みたい……」
「仕事?」
「そう……今回の<主>は辻 なぎさの友人、麻倉 沙弥。彼女は最近……遺産争奪戦に巻き
込まれてね………親族からその命を狙われているんだ……」
「成る程。それで俺が例の如く彼女を護衛して」
「そしてそれを及ばずながらぼくが協力させてもらうよ……」
「ふぅん…ところであいつは?」
「ああ……そろそろ来ると思うんだが……」
となぎさが言うと傍らに人影が現れる。反射的に四つの視線が行く。だが残念ながら
それはお目当ての人物ではなかった。
ウェイトレスだった。
ウェイトレスが注文していた紅茶を運んできたのだ。
「お待たせしました。どうぞ、ご注文の紅茶でございます」
「あ、どー…−ッ!」
天斗が愕いたのは別に出された紅茶が明らかに紅茶が匂わせる筈も無い、吐き気を催す
異臭を放っていたからと云う訳ではなく、そのウェイトレスにである。
「お前、早良 さつき…!」
天斗に怒気を叩き付けられているウェイトレス−−早良 さつきは「うふ」と艶っぽく笑った。
「あは、覚えていてくれたの?さつき感激だわ!…もっとも忘れられないって言った方がよ
り精確なんでしょうけれど…ねえ、不破クン?」
「く…」
ぎくり、とした。それは紛れも無く図星だったからである。
「ああ、思い出すわ…キミと供にしたあの日々のことを…」
早良はうっとりとした表情で自分の肩を抱いた。
がしゃん!
瀬戸物が割れる音がした。
天斗はギギギ……と錆びた歯車が軋みながら廻るような音を立てながら頸だけを左45度廻した。
「……不破……くん……」
そこには俯いているなぎさがいた。
「おーい、なぎさ、なぎさちゃーん…」
「ふふふ……」
低い笑い声を上げながらなぎさはゆっくりと顔を上げ始めた。
「もしかして…怒…ってる?」
「ふふふ……そんなワケ……」
一瞬の間を空けて、その顔を上げる。
「……ない……じゃないか……」
声は穏やかだが、頬は引き釣り、眼は笑ってはいない。おまけにこめかみ付近には蒼白い
血管がくっきりと浮かび上がっている。
明らかに、怒っている。
「ひいい…」
天斗は片足両腕を上方45度に上げて、悲鳴を上げた。
「ふふふ……」
血の滴る拳が震えていて、不気味なことこの上無い。
「あ、いや、その…」
ゴゴゴ…
それはなぎさにしか聞こえない種類の地鳴りだったが、天斗はその気配を察していた。
「ふふふ……」
やがてなぎさのボルテージが臨界点に達し、彼女の眼に怒りと嫉妬の象徴である炎が宿る。
「あわわわ…」
天斗には辺りの温度が急激に熱くなったかのように感じられただろう。
「ふふふ……不破くん……覚悟はいいかい……?」
「−ッ!」
それは音にならない悲鳴だった。
無理も無い。
(本当に)何時の間にか向かいの席から天斗の背後に移動した彼女に両脚でそれぞれ
両腕の肘関節を極められ、スリーパー・ホールドをかけられているのだから。
「<辻流柔術・大蛇固め>……不破くん……遺言が有るのなら……聞いてあげよう……」
<辻流柔術・大蛇固め>、時間が経てばスリーパーで落とされ、その気になれば一瞬で頸骨と
左右の肘関節が破壊される。かと云って破ろうにも前に倒れれば靱帯断裂、後ろに倒れれば
両肘関節の破壊は疎か、肩を脱臼することは必至だ。
中々完成度の高い技だ。正に前門の虎、後門の狼と云った所か。流石は辻流柔術だ。
次第に薄れ行く意識の中で、天斗は必死にこの場を切り抜ける策をあれこれと考えた。
そして、
「そ、そうだ」
そして、進退窮まった天斗が、まるで天啓を得たかのように眼鏡の奥に潜む眸を
キラリンと輝かせた。
「今はこんなコトをしている場合じゃない」
それを聞くとなぎさは「それもそうだ」と納得のいった顔になり、ぱっと技を解
いた。すると天斗は途端に安堵の表情を浮かべ、早良に飛び掛かった。
「行くぜ!」
「不破くん……」
「何だい?」
「今回の敵も半端じゃない……ゆめゆめ油断しないように闘いに専念してくれ……」
「応ッ!」
やがて天斗が前方に跳んで間合いを取ると、なぎさは誰に言うとでも無くぼそりと呟いた。
「……不破くん……さっきは闘いに支障を出さないために敢えて言わなかったが
……さっきの話はあとでじっくりと……聞かせてもらうよ……ふふふ……」
その顔は極上の獲物を得た女吸血鬼のそれだった。
「ふふふ……」

U

『神に選ばれし者とは理解(わか)り易く一言で言えば天才と呼ばれる存在である』
〜京極 天斗の<闘いとは…>より〜

天斗と早良が対峙してからそろそろ三分が経つ。
互いに構えたまま相手の隙を伺い、中々動こうとはしない。
天斗は軽く拳を握って胸の前に持ち上げ、足を前後に肩幅分に開き、やや半身に構えた。
一見するからに急所を守りながら攻撃にも防禦にも廻ることが出来る実戦的な構えだ。
良く見てみると握った拳の親指は握った残る四指の第一関節付近に隠れている。
親指を奪われ難いこの拳の握り型から、この構えは単なる『打撃屋(ストライカー)』の構え
ではなく、先ずは軽く打撃で活路を拓き、そして寝技、組み技で仕留める、それこそ柔術家の取る
『組み技屋(グラップラー)』の構えであることが伺える。
若いのに中々堂に入っている。
辻流柔術・継承者にしてはまだまだ未熟だが、奴にとってはこれ以上は無い構えと作戦である。
一方それに対して早良は両手を持ち上げて、万歳のような構えを取っている。
何処から何をどう見ても隙だらけだし、『打撃屋(ストライカー)』にも『組み技屋(グラップラー> ) 』
にも見えない。このまま天斗が動けばあっと云う間に間合いを詰められ、脚払いを喰らって、
グラウンドで料理されるのは必至だ。
柔術家に勝つためには柔術を使用(つか)わせなければそれで良い。徹底してスタンドで闘う事だ。
極力組む事を避け、肘と膝を上手く使用(つか)って打撃戦に持ち込めば有利だ。
だが、互いにそうはさせない何かがそこに在った。
(さぁてどーしよっかねェ…)
とそんなことを考え始めた時にはもう既に奴の身体は動いていた。
相手の手の内が判らないのは闘いの常、ようは自分に相手を叩き伏せる実力が有るかどうかが問題だ。
だがああも簡単に自分から相手の罠に飛び込むとは、余程闘いに飢えているのか
死にたいのかと思わざるを得ない。だがそれをどんなに理解しようとしても奴の性格上自分から
積極的に攻撃に出るのは必至だ。
つくづく成長しない、救えない餓鬼だ。
「フンッ(漢字で口偏に厄、口偏に阿)!」
掛け声と共に一気に間合いを詰めてゆく。
天斗の動きは実に疾い。どれ程疾いのかと言えば常人の眼で残像を引く程だ。
(5メートル、4メートル、3メートル、2メートル、1メートル…)
やがて二人の距離は縮まり、遂に互いの制空圏が触れ合った。
(もらった…!)
天斗が自分の懐に潜り込んでも相も変わらず早良は手を持ち上げたままだった。
そして天斗が服を掴み、引いた瞬間早良は動いた。
(何か来る…!)
漸く気付いた天斗は腰を軸に捻って早良の背後に廻り、素早くスリーパー・ホールドを極める。
普通ならここで天斗が早良を絞め落とし、完勝する所だ。
だが事実は異なり、逆に天斗の方が絞められた。
別に早良が後ろに手を廻した訳ではない。
天斗の頸を絞めたのは常人の眼には視えない超極細の繊維で精製(つく)られた、
糸だ。
早良はそれを巧みに操って天斗を絞め上げたのである。
「ふふ…あと0.02秒遅かったら私の方が落ちてたわ。あっちの方はともかく、こっちの方の
技術は上がっているみたいね。でも所詮あの方はおろか、私の敵ですらないわ」
早良は残忍な笑みを浮かべると、まるでピアノを弾くかのように手を動かす。
すると天斗の身体は地面を離れ、やがて天井に達した。
「うふふふ…高い所はお好きかしら?」
「生憎と高い所程好きなものは無いンでね。絶景かな絶景かなって所かな」
取り合えずは相手のペースに呑まれないように虚勢を張っている。
これで身動きが取れていれば虚勢ではなく、余裕になったのだが。
所詮虚勢とは自信の
無さから来るモノ。所詮は見掛け倒しでしかないモノ、と云う所であろうか。
「うふふふ…強がっちゃって。でも…いつまでそうしていられるかしら…ね!」
「ね!」と共に早良は右手を上から下に、左手を左から右に移動させ、
捻って最後に自分の方へ引いた。
すると面白い具合に糸が天斗の肉に喰い込み、血を滴せる。
「うふふふ。いいわあ…今まで色々な人間の、色々な面を見てきたけれど…やっぱり
血を流している所が一番いいわあ…本っ当ーにサイコーとしか言いようが無いわね。
ねえ…もっと苦しんで…もっと痛がって…ねえ…」
早良が恍惚とした表情で宙の天斗を見上げる。奴のその姿は実に芸術身が有って、
例えるなら『血まみれの堕天使・ルシファー』とでも云った所であろうか。
「嫌だね…」
「どうして?あなたは両手両脚が使用(つか)えないのよ?」
「そうだ。でも、だからどーした?」
「は?」
「高が両腕両脚の自由を奪った位で勝ったつもりか?」
「どういうこと?」
「高が両腕両脚が使用(つか)えないからと云って勝ったつもりでいるな。武道家は骨が粉
になるまで、血が枯れ果てるまで闘うンだ。最後の最後まで死ぬまで闘うンだ。
武道家を嘗めるのも、いい加減にしろよな…」
その時若干糸の喰い込みが深くなった。
「その表情いいわあ。そこまで言うならじゃあやってみないさいよ。
その無様な格好から抜け出して私を倒してみなさいよ」
「はいな」
すると天斗はいとも簡単に抜け出して着地した。言うまでもないが早良は1ミリメートルも動いてはいない。
それがあまりにも自然に見えたので早良は思わず自分の眼を疑ったかのように硬直した。
「な…何をしたの?」
「え?何のコトでしょう?」
とぼける天斗。
「どうやって抜け出したのかと聞いているの!」
「ん〜…そりゃ抜け出すに決まっているでしょ。だって俺は縛られて悦ぶ被虐的(マゾ)な
趣味は持ち合わせて無いしィ。どっちかって言うと…見てるだけ…ぎゃ!」
天斗がつい軽口を叩いたその瞬間。
ごつ…
天斗の後頭部で鈍い音がした。思わず身体がよろける。
足元に転がったのは、そこら辺に置いてあった、テーブルだ。
飛んできた方向に眼をやった天斗は、テーブルの端を掴み、腕一本で軽々と持ち上げているなぎさを発見する。
(本当に)どうでも良いがこのテーブルはどんなに軽く見積もっても30キログラムはある。それ
を腕一本(しかも左手)で軽々と10メートル以上投げたなぎさって一体…
「ふふふ……」
「う…あ…こほん。まあ恐いヒトが睨んでるンでそろそろ結着を付けさせてもらうぜ」
咳払いをすると天斗は床を疾った。
「馬鹿な…」
早良は再び糸を使用(つか)うが総て天斗に触れる瞬間にその力を悉く去なされる。
その鮮やかな体捌き、そしてその業を成す姿はまるで舞を踊るかの様に無駄が無く、美しい。
このような闘いの場でなければ気品すら感じたことだろう。
やがて天斗が糸の結界を見事にくぐり抜け、遂に早良の懐に潜り込んだ。
「押ゥ忍ッ!お姐さん。そう愕いた表情は結構間抜けで可愛いね。
うん。65点。まああいつには敗けるけれども…ね…」
言うよりも速く天斗は今度こそスリーパー・ホールドを極めた。
否、大分形にはなってはいるが今一極めが甘い。
絞め技は一瞬で相手の頸骨を粉砕する事が第一の目的だ。それを…ギブアップを取らせる
ために使用(つか)うだけでも未だ甘いというのに…
あの餓鬼は…幾ら技術が向上しても人を殺せないのであれば何の意味も無いではないか。
やはり弱くなってやがる。
「さあてこれから不破先生の特別課外授業を行う。科目は保健体育…本日の講義は人体の破壊について、だ。
一度しかやらないから神経を集中させてよーく聞くように。
今度のテストにも出る重要な単元だぞ。先ずはさっきの縄抜けの正体だが…あれは…」
「空手の手刀の応用や」
不意に背後から何処か偽物っぽい関西弁が聞こえた。
そう、天斗がやって見せたのは糸斬り。だが唯の糸斬りではない。
天斗は素手で斬ったのだ。
一般人には到底理解は出来ない話だが、元来空手家は気の遠くなる長い年月を経て手を、脚を
鍛えてゆく。
鍛えてゆく内にそれらは硬質化して鈍器となり、やがては鋭さを増し、斬れ味を帯びて刃と化す。
そして天斗はそれをやってのけたのである。
しかも指で。
やがて早良を絞め落とすと、天斗はゆっくりと振り返った。
振り返った天斗の眼の前には、逆光を浴び、真っ赤なアロハシャツと高額そうな
サングラスを身に付け、おまけに(何故か)小道具として自前のウクレレとレイを持参した、
小柄な男が(何故か)ピースサインを突き出して立っていた。
「刻矢…あんさん来るの遅過ぎるよ…それに折角の講義の邪魔をするなよな…見せ場が減るだろ…ったく…」
天斗はジト眼で小柄な男−−八代 刻矢を見た。
「すまんすまん…でもまだ非っ常に厄介なお客さんがいるみたいやし…」
刻矢は後ろを指差した。
「オレが接待したるさかい…それで手ェ打ってくれへん?」
「て云うか本当はただ単に自分が闘りたいだけなンじゃないのか?」
刻矢はギクリとした。図星だったからである。
「ふぅ…まあいいや…その代わり今度何かで埋め合わせしろよ?」
「おおきに…っちゅーわけで、よっしゃ!出てこいや!そこのにーちゃん!!」
その視線の先を追うと、そこは唯一被害に遭わなかった席だった。
そしてそこからすっと影が立ち上がった。
三つ揃いのスーツを着込んだ長身痩躯の男。
先程まで休憩を取っていた会社員である。

V

『天才とは力の流れが視える者を指して言う』
〜京極 天斗の<闘いとは…>より〜

「やれやれ…バレていたんですか…」
その男はやれやれと肩を竦ませながら腰を上げた。
口調は何処か残念そうな聞こえが有るが、その端麗な顔に浮かべられた表情は明らかにそれを否定している。
それは、一種の純粋な悦びで、まるで欲しかった玩具を手に入れた子供の笑顔に酷似している。
「まあな…闘る前に一応自己紹介しとこか?」
刻矢は自分を親指で差した。
「オレは無敵の八代 刻矢や。よう覚えとき。んでにーちゃんの名前は?」
その男は益々笑みを深くした。
「人為派遣株式会社O.D.K営業課所長を勤めさせて頂いております、無名 蔵人と申します。
以後お見知り置きを…」
無名は慇懃無礼に頭を下げた。
「O.D.K…ッ!」
天斗、なぎさ、刻矢はほぼ同時に言った。
O.D.Kとは表では一応人為派遣会社の肩書きを持っているが、実際は裏で色々なブツとコトに手を出している。
世界中に散らばっている組織で、大小合わせればその数は実に千を越える。
最もその権勢を誇っているのは<染血の幻想(ゆめ)>、
この辺りでは<オーバー・パラドックス>が有力だろう。
「先手必勝ォ!」
顎を引いて若干前屈みになり、脇を締めて顔の高さに拳を構える。
左足を軽く一歩前に出し、爪先立ちになってフットワークを使用(つか)う。
刻矢のスタイルはボクシングだった。
ボクシングはグラヴを嵌める、蹴り技が無い、関節技が無い、絞め技が無い、おまけに下半身への攻撃が無い。
その為総合格闘技に於いては最も不完全で不利なジャンルの一つだ。
だが突きを応用する際には決して避けては通れず、必ずしもぶつかる壁である。
この地球上でボクサー程疾い突きに長けた人種はいない。そして組み技屋(グラップラー)にと
っては厄介な存在だ。そもそも格闘技に於いては先制を取るのは常に彼等打撃屋(ストライカー)である。
例えば組み技屋(グラップラー)がその懐に潜り込もうとしても眼にも留まらぬパンチでその侵入を防ぎ、
同時にそれ自体が攻撃となっている。正にそのリーチとスピードを最大限に活かし、
攻防が一致するスタイルを取っている。
刻矢は外見通りの軽量級のスピードを活かし、
その重量からはとても想像は出来ないが、奴は自分の体重以上の、
それこそヘヴィ級張りの威力を持つとさえ思われる、疾く、そして重いパンチの嵐で仕掛けた。
「ふふ…」
それを眼の前にして無名はズボンのポケットに手を突っ込んで立ち止まっている。
これは命取りだ。
先程にも述べた通りボクサー程これに長けた人種はいない。
それ故にボクサーと闘う際は兎に角動き廻ることだ。
一瞬たりとも止まる事は赦されない。
そうしなければ奴等のとんでもないパンチをダースで喰らい、
あっという間にサンドバックとなり、一気にスタミナを奪われ結着を付けられてしまうからだ。
「何ニヤついとるんや…往生ぉ…せいやっ!」
「ふふ…」
ぐちゃ…
「う…!」
刻矢の右ストレートが無名の顔面を捕らえた、と思われた瞬間突如刻矢が苦悶の表情を浮かべた。
太腿に蒼い痣が出来ている。
「ふふ…」
刻矢の右ストレートが命中(あた)る寸前に防禦も回避もすること無く、
無名がその長い脚で蹴り付けたのである。
「ちぃ…」
その一発で刻矢の足止めに成功すると、今度は無名が攻撃に移った。
無名は蹴り主体の攻撃で容赦無く、完膚無く刻矢の肉体を破壊する。
そのローは鉄槌のように脚を潰し、そのミドルは打ち下ろされる斧の如く腹を穿つ。
無数の連続蹴りを喰らっている内に刻矢は次第に後退し、
両腕(ガード)が下がり、ダメージが脚に来たのか膝が落ち始め、内股になりつつある。
「そろそろ終わりにしますか…」
或はその言葉が気付になったのかも知れない。
その言葉を耳にした瞬間奴の闘志に火を付けた。
「……んじゃ…」
次第に刻矢の腕が上がり始める。
「ん?何か言いましたか?」
まるで亀のように防禦(ガード)を固める刻矢に無名は意地悪く訊く。
「小技がちまちまとうるさいんじゃー!!」
達人の猛攻を<小技>、<うるさい>の二言で片付け、刻矢は遂に無名の蹴りを振り切った。
そして床に足跡を踏み抜いた程の<震脚>をかまし、全身全霊を懸けた正拳突きを放った。
狙いは鎖骨。人体で最も脆い骨の一つだ。
パン!
それが発動した瞬間空気中で激しい破裂音がした。
「視えなかった…」
恐らくこの店内に居た全員がこの刹那を見極められなかっただろう。
恐らく構えた次の瞬間に急に無名が吹っ飛んだ、と云った所であろうか。
バキ!
音速を超える薩摩芋色の鉄拳が鎖骨を文字通り叩き折った。
どん!
そしてその一刹那後、刻矢の視えない正拳突きを喰らった無名は店の端から端へ
吹っ飛んだ。その距離優に20メートルを越える。
一瞬店内に静寂が走った。
「へ…ざっとこんなモンや」
ゆっくりと振り返り、刻矢は親指を立てて勝利の笑みを浮かべた。
「風の噂に聞いたことがあります…」
壁にもたれながらもゆっくりと無名が立ち上がった。
店内に不安が溢れたがそれ
を刻矢が軽く手を上げ制止する。
そして右肩の出血を押さえながら、無名が静かに語る。
「昨年、単身で渡米…し、その疾さ…と、空手を以てプロ…ボクシングに挑んだ日本人の少年がいました。
彼は無謀にして絶望的な体重差を越えて…ヘヴィ級の舞台に立ち、遂に半年前の聖夜(クリスマスイヴ)に、
全世界の眼の前で<ボクシング史上最強の漢>と呼ばれていた、
現在のプロボクシング全世界統一王者・マイケル・ヴィンセントを相手に死闘の果て、
辛くも勝利を収めました…」
「ほう…」
「そして彼はプロボクシング史上最年少にして最軽量、更にKO率100%にして全勝無敗、
そして日本人初…と数々の記録を塗り替えました。しかし翌日に王座を返上し、
行方を眩ませました…その理由は金に興味が無いとかより強き者を求めているため…
などと沢山の推論がありますが、
未だに謎ですがね…本当に嵐のように現れ、嵐のように過ぎ去って行っていきました。
その後我々もその男の消息について調べましたが、判った事と言えば、
最近日本に上陸したという事位ですかね…そういえば現在でも曰く小さな巨人、
曰く最速の男と尊敬と畏怖の念を込めてそう呼ばれています。
だが…当時はもっと親しみのある呼び方がありました…それは…」
「ジョーカー…やろ?」
それを聞いて無名は頸を縦に振る。
「そして…その漢が今、私の眼の前にいる…」
「……」
「刻…矢…?」
狭い店内の中に何とも言えない重苦しい空気が漂う。
「…ぷっ、なーにゆーとんねん!そんなごっついヤツがいたらとっくにサイン責め
やで?ははは! 」
やがてその空気に押されてか、観念したかのように溜め息を吐いた。
「せやせや、そのとーり、ゴメートーや…オレがその<ジョーカー・刻矢>や…」
肩を竦ませてちらりと相棒を見た。ひどく愕いていた。
「で、も…一つだけ…教えてもらえませんか?」
無名は、小首を傾げて訊いてきた。
「何や…ゆーてみーや…」
刻矢は無表情にして、全く感情の込もっていない口調だ。
「何故王座を捨てて、行方を眩ませたのですか?
あのまま防衛戦を継続(つづ)ければ莫大な財産が手に入ったのに…
そして仮にも<地上最強>が代名詞だというのに…」
無名は眉を上げて、愕きを表現した。何処か嘘を感じる口調も、疑問と云うよりは確認に近い。
そして何より、何か期待している、ような眼だ。
「ふ…」
刻矢は一瞬嘲るように笑い、次は発達した犬歯を剥き出して笑った。
「確かに金になんてキョーミないー。年頃やさかい、オンナにはキョーミあるが
な…特にグラマーなオネーサマが。オレは生まれてこの方十八年間ずっとケンカは打撃だけで勝てる、
つまり空手こそ無敵、最強やと信じてきた。それは今でも同じや。
でもな…でもアメリカにいる限りオレはずっと王者や。
ずっとそこに留まるってことやったらそれは一種の競技になってまうし、
いずれは井の中の蛙になってしまう。更に打撃屋としか闘えない。
オレはなるたけルールの無い試合の中であらゆる格闘家と闘りたいんや。
まだまだ闘る試合(コト)あるんや。そして…」
そして振り返って相棒とその彼女に視線を向ける。
「そして…サイコーのダチにサイコーなコトを発見(みつ)けたんや。
困った人を助け、強い悪者と思いっきりケンカが出来る。
そんなサイコーなモン他には無いんや。だからや…」
そして再び前を向いた時、そこには無名も早良もいなかった。
「お…い…あいつら…何処行きやがったんや?」
刻矢はその場でぷるぷると震えながら訊いた。すると店内の人間は全員同時に出入口を指差した。
彼等はもう既に豆粒程の大きさにしか見えない。
「あああ…主役のキメゼリフ最後まで聞けえええ!」
刻矢は嘆いた。
何故ここまで来て自分が寒くならなければいけないのか、
世の中の理不尽さを声に出して訴えていた。
そんな刻矢の心情を表し、慰めるかのように店内に曲が流れた。
曲は『Don't mind.』。タイトルからして今の刻矢にはぴったりな曲である。
気にするな刻矢よ。いつもの事ではないか。

W
『格闘技に於いて敗北は死を意味する』
〜京極 天斗の<道場破り放浪記>より〜

ここは天斗達の二番目の行き付けの喫茶店『電撃』。
取り敢えず警察が来る前に店のブツを弁償し、逃げてきたのである。
「にしてもお前さんがヘヴィのチャンプだったなンて愕いたぜ」
「ああ悪かったわ。だまくらかしてしもてホンマごめんな」
「いいってコトよ。いくら相棒だとはいえ、語りたくないコトの一つ二つ有るだろ?」
「うう…天斗はん、あんさんホンマええ奴やな…これあげる」
刻矢は懐から縦約20センチメートル、横約13センチメートル、厚さ3センチメートルの木箱を渡した。
「え、いいのか?」
「おお、ええで。これで夜がお楽しみやな…あ、オレ塾あるから帰るわ。じゃな」
刻矢はぎこちない笑顔でぎこちなくぶんぶんと手を振って去っていった。
ちなみにこの男は塾には通ってはいない。
「応ッ!じゃな…にしても何かぎこちなかったような…気のせいかな…にしても…ふふ…あれ?」
今の今までテーブルの上に置いておいたブツが無くなっていた。
天斗はテーブルの下から自分の下着の中まで確認したがブツはやはり無かった。
「どーしよー…」
天斗は頭を抱えて悩んだ。そしてふと何気なく背後を見ると、
お約束にもなぎさが立っていた。
ご丁寧にもブツを持って。
「あ…あの…その…」
天斗は吃った。だがなぎさは構わず続行(つづ)ける。
「あれ……?これは何だろうな……?何々……?実写無修正本場モノ……青き果実が熟れる瞬間……」
「あ、あああ……」
天斗は絶望的な呻き声を上げた。もはや万事休す、絶体絶命だと悟ったからだ。
「ねえ……不破くん。これは何かな……?そういえば早良のときも何かあったみたいだね…
…もう時効だから総てを告白(はい)て楽になって……大丈夫、誰も怒ったりはしないから……ふふふ……」
「違う!違うンだあああッ!!」
天斗は額を擦り付けんばかりの勢いで土下座した。
実に男らしい潔い態度である。
下手に言い訳をせず、男らしく謝った。だが、
「ふふふ……若いって……いいよね……」
天斗は土下座して謝ったが、聞き入れられるものではなかった。
そして−−
忘れ物を取りに戻ってきた刻矢は、店の中の人だかりを見て吃驚(びっくり)した。
気になったので側にいたウェイトレスに訊いた。
「ど、どないしたんですか?」
「……」
ウェイトレスは何も言わずにただ指を差した。
その指先の延長には、粉々になった元ビデオテープと眼鏡、
そしてなぎさがジャーマンを天斗に決めている図があった。
よく見てみると両肘と両肩と頸が極められている。
勿論なぎさは一切の手加減無しで、天斗を脳天から落としていた。
肘と肩は辻流の脱骨術で関節を外しているから骨折は凌いでいるが、やはり頭蓋骨と頸椎はイッているだろう。

その日の救急患者のカルテより抜粋−−
患者名 不破 天斗。 状態 頭蓋骨骨折、鼻骨骨折、頸椎損傷、右鎖骨亀裂骨折及び左鎖骨不完全骨折、
右肋骨第 3番から第 4番亀裂骨折、第 5番から第 7番完全骨折及び左肋骨第 4番から第 8番完全骨折。
全治一年。

それから天斗が脱院をしたのは二日後の事だった。

-FIN-
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